千葉県帰性会について

「千葉県帰性会」とは

更生保護法人 千葉県帰性会は、全国にある更生保護施設の一つで、千葉県内で唯一の民間の施設です。
罪を犯した人を刑務所等に隔離するのみでは、犯罪はなくならないのです。
出てきた人を保護し、生活を支援し、更生を助けることにより皆が安心して生活できて明るい社会ができる。
更生意欲があっても、仕事がない・頼れる人もない・住むところさえない。罪を償って再出発をしたいのにどうしたらいいのかさえわからない。何もないために 追い詰められてしまい、また犯罪へと向かっていってしまう。
そのようなことにならないように、一定の期間ではありますが、最低限である宿泊と食事を提供して保護するほか、就職の援助や生活指導を通じて自立更生を促すとともに、再犯の防止を図ることを目的としています。

「帰性会」名称の由来

千葉県帰性会は、成田山新勝寺を中心とした、県下宗教団体により千葉保護院を設立したのが始まりです。
人間は本来仏になる美しい心『仏性』を宿しているということから過ちを犯した人といえども善良な心、つまり
仏に帰る・仏に帰って欲しいとの思いからこの名称がつけられたといわれています。

「千葉県帰性会」が誕生するまで

明治初年、徳川幕府より政権を受け継いだ明治政府は、近代国家建設を旗印に、矢継ぎ早に各種施策を施行した。その中には犯罪者の処遇問題もあった。
明治五年、「監獄則」が制定され、犯罪者の収容施設として、千葉県では「寒川監獄」の設定に始まり、それは現代の「千葉刑務所」に至っている。それと同時に刑期を終了、満期にして尚更生の見込みの見えないもの、釈放後の生計の見込みのないもの等は監獄の別施設「懲治監」を設立収容された。
明治十四年、「懲治監」制度は廃止され、成人は「別房留置所」に、少年は「懲治場」にと区別して収容された。

此等の監獄出所者の処遇について明治政府は困惑した模様で、各府県に民間出獄人保護会社設立を推奨された。これにより少年については「千葉感化院」が県下仏教寺院連合により明治十九年に設立され、後の公立少年院に受け継がれて行くことになった。
成人では明治三十年の恩赦により多数の出獄者を迎え、民間の出獄人保護活動に合わせ、県下仏教会が協力設立したのが「帰性会」の嚆矢「千葉保護院」であった。
その後、経営は変遷を重ね、名称も「千葉福田院」、「千葉助成会」などと変更、大正四年「千葉県帰性会」と改称
大正十一年には県内各地に四十七支部を設け佛教会の各教区所、郡役所、警察派出所等の協力を得て、一時保護等の更生の助力を実て来た。
その後、犯罪者処遇の変遷もあり又、幾度かの戦争時代を経て現在に至っている。

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